2010年1月27日水曜日

とある弁護士さんの苦悩

東大工学部を出て、大手メーカーやらアメリカの大学で研究員をやっている、いわば「理系の鏡」のような優秀な人。そんな人がありがたいことに周囲に何人か居るのだけど、とつぜん会社を辞めて「弁護士になる」と言い出す人は珍しい。そしてその方は、本当に弁護士になってしまわれた。

先日、その方のプレゼンを拝聴した。タイトルは、「技術屋から法律屋になって」というもの。面白いので、そのまま引用させていただくと、

  • 法科大学院でのカルチャーショック
  • 法律学と自然科学との違い:
  • 古い判例を見ていると、下記のような文にしばしば行き会う
  • 「所論(当事者や代理人の、法律に関する見解)はつまるところ、独自の見解を述べるものであって、到底信用できない。
  • なぜ、独自の見解は「到底信用できない」のだろうか。
  • 科学においては、「独自の見解かどうか」は、別段、正しさの基準ではないのに・・・。

分野が違えば、「よりどころ」とする概念がガラリと変わってしまう。今まで信じていたものが信じられなくなるのだから、まるでそれは「強制的に改宗させられる」ような気分だろう。
異分野を勉強して、気を病んでしまう人が多い。私もかなり落ち込んだ時期があったし、今もグラグラと浮ついた自らの足元を見ては、不安になってしまうことがある。


横断か融合か
分野を「横断」という言葉と、
分野を「融合」という言葉がある。

どちらもほとんど同じ意味なのだけれど、「横断」のほうが相応しい気がする。この数年、情報とデザインという2つの分野をみてきたけれども、とてもとても「融合」できるような代物ではないと感じた。よく、
「異分野の人とのコミュニケーションを深めなさい」とか、「理解して尊敬し合える関係を目指せ」といったことが叫ばれるけれど、それは「話半分」くらいで聞いておいたほうが良い。
「横断」という言葉には、同時に「断絶」という意味も含まれている。2つの分野が交錯して、苦しみながら解を求めている姿を現すのに、ぴったりだと思う。

先日、外山 滋比古先生の「思考の整理学」をみていたら、インターディシプナリー(学際)に関して、「人とコミュニケーションすることのリスクとメリット」についての散文をみつけることができた。25年前から変わらない、知的に生きる術なのでしょう。異分野の横断に苦悩している人は、一度はみておいて損は無いと思う。


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