2010年3月8日月曜日

アカデミー賞、イルカを食べる日本人

http://www.gmagazine.com.au/files/imagecache/node/reviews/The-Cove_Key-Art_Hi.jpg
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/cucciola/20091021/20091021035744.gif

  • 世界中で数多くの賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」は、水面下のサウンドとカメラのエキスパート、特殊効果アーティスト、海洋探検家、アドレナリンジャンキーそして世界レベルのフリーダイバーから構成される「オーシャンズ11」のような作製チームが、日本の太地町の入り江(コーヴ)で密かに行われていた恐ろしい事実を明らかにした、アクション的要素に溢れたドキュメンタリーです。
  • 彼らは、入り江(コーヴ)でイルカが密かに惨殺されていたことだけに留まらず、大量の水銀を含んだイルカ肉が、クジラ肉と偽装されて日本で売られていること、更には、有害なイルカ肉が、小学校の給食で出され、日本の子供達に重大な健康上の被害をもたらしている現実も捉えています。

色々と微妙な問題もあって過熱しているイルカ&クジラ問題、私はあんまり詳しくないので、今日は「デザイン」の観点から考えてみました。ちなみにイルカとクジラは同じ生き物でよすね?たしか。

クジラを食べると頭が良くなる。
一見温厚で弱々しい人種、日本人。しかし彼らの驚くべき知性は、「禁断の知的動物」を食べることで得られている。というような、大胆な「思い込み」仮説は成り立たないでしょうか。アメリカのように油をとるために捕鯨していた文化に比べて、やっぱり「食べちゃう」というのは人間精神の普遍的な部分だし、とっても強い記号をもつような気がするんです。
「小学生にまでイルカの肉を食べさせる」というタブーを犯しながら、日本の文明はますます強化する、これは驚異だと。(本当にそんなことで経済回復してくれれば良いのですが)
そもそもタブーというのは、食べたり接触することで次々に伝搬する性質のものだったと思います。
  • オウムとリスは果物をよくたべる。そこで首狩りに出かける者たちは、これらの動物を身近なものと感じ兄弟と呼ぶ。人体と樹木、頭と果物の対比のためである。(Zegwaad、ニューギニアのアスマット族)
  • 動きえぬものは動きうるものの糧となり、牙なきものは牙あるものの糧となり、手なきものは手あるものの糧となり、臆するものは猛きものに食わるべし。(マヌ法典、5.30)

「惹き込み」のコントラスト
内容をみると、「水銀による汚染」とか、「無残で暴力的な行為」ということを何度も言っているのですね。これはそれぞれ、「環境問題」と「戦争」の隠喩なんじゃないかなぁと思いました。つまり、日本のWakayamaという、どこだかも良くわからない未開な地域の振る舞いと、先進国であるアメリカの文明人としての社会問題から、人間精神の普遍性としての不思議な一致を見とることができる。もちろんアメリカだけではなく、グローバルな環境と暴力の問題の縮図がそこにある。その二重性の対比関係。

しかもそれが、圧倒的に美しいブルーの映像と、残虐な真っ赤なシーンとのコントラストによってデザインされている。あ、しかも左右対称のポスターの真ん中には、明らかにイエス・キリストが居ますね。ちょっと恥ずかしくなっちゃうくらいの古典的な表現です。その周りにいるイルカ=天使は中央に集まり、何かをうったえているかのようです。天使は奇数の5匹で、どうも多少バランスが悪いですが、これは日本を表しているのでしょうか。

冷静にみれば、この「アクション的要素に溢れたドキュメンタリー映画」(この二元論的なキャッチコピーもなかなか)はあらゆる面で、なかなかの戦略性をもった「コントラストのデザイン」がなされていると思いました。社会性と反則技の狭間を狙った恣意的なプロモーションとか、意識と無意識の社会的な記号とか、いろいろな意味で。
こんなブログを書くことで宣伝に荷担しちゃうのも悔しいですけど、デザイナーとしては必見だと思います。



命を守るガジェット


日本人のガジェット(gadget)に対する思い入れは、世界一だと良く言われる。明和電機、カヤックとか空想生活など、ガジェットで世界に挑戦している人たちが沢山いるわけだし。
ところで無印良品=虚無な記号のところで話題にしたボードリヤールは、ガジェットに対して、

  • 消費社会におけるモノの真の姿で、道具性を失って記号化したものである
という痛烈な批判を浴びせているけれども。これはあくまで、「デザインは機能に従う」とか「工業デザインはインダストリアル・アートである」という古典的な視点に立てばこその話しだと思う。

ガジェットという言葉は、何となく「コラージュ」とも音感が近いし、ポップで軽薄、寿命が短小なイメージで取り扱われてしまう事が多い気がする。そんなことから、なんとなく「独創的クリエイティブ」を自負するデザイナーや芸術家からは、格下に見られる傾向にある。これは残念だ。
一方で、小さなイノベーション(マイクロイノベーション)とか、ソーシャルエンタープライズとか、いろいろな分野の要素の継ぎ接ぎによって状況を改善しようとする動きには、世界的にも合致していると思うし、これからはガジェット礼拝が世界を救う、のかもしれない。

何の話しかというと、緊急地震速報の話しなのです。

アイリスオーヤマの天才デザイン
久しぶりに、良いガジェットを買いました。
運用が開始されてから3年以上がたつ、世界最高の「緊急地震速報システム」だけれども、その恩恵を受けるためには、専用の家庭用端末を準備する必要があるし、これがまた高い。

地震速報機EQA-001をデザインした人は天才ガジェッターだと思う。中身は、何のことはない「FMラジオ」の受信機なのだけれども、ラジオに流れる緊急地震速報のメロディー音を自動的に検知して、自動的にスイッチが入る、というもの。しかも85デシベルの大音量である。
これなら夜、寝ていても地震の揺れに備えることができる。


2010年3月7日日曜日

1960~70年代のヨーロッパ写真紀行

休日を使って、父か祖父が撮りためていたフィルムをスキャンしてみました。わざとらしくない一瞬って、いいものですよね。

  • こうした写真を眺める者はそこに、現実がこの写真の映像としての性格にいわば焦げ穴をあけるのに利用したほんのひとかけらの偶然を、<いま-ここ>的なものを、どうしても探さずにはいられない。画面の目立たない箇所には、やがて来ることになるものが、とうに過ぎ去ってしまったあの撮影の時の一分間のありようのなかに、今日でもなお、まことに雄弁に宿っている。だから私たちは、その来ることになるものを、回顧を通じて発見できるのである。
(ベンヤミン、図説写真小史)